Ti amo

吐き出したり愚痴を言ったり病んだり考えたり忙しいブログでごめんなさい。

プロローグすなわち序章

―このブログが、わたしの今書くこの気持ちが未来の私を勇気づけるものになっていますように―

 

2018年4月9日。雲一つない青空にちょっと冷たい風が吹いていた。なぜこんなにも青い空の下、わたしはたくさんのもやもやを抱えているのだろうか…疑問を抱くくらいには心のスペースがあった。その時は、だけど。

急にブログを書こう。と思った。それは完全なる思い付き。意味もあんまりない。けど昔あんなに日常を綴っていたブログは今や幻になったし、あの時はあの時でぶつけたい気持ちがあったと思うから、新しく始めてみようと思った。(ちなみにこの間読み返したらそれなりに楽しんで、悩んでた。あの頃ならではの悩みに甘酸っぱさを感じた。)今のわたしがぶつけられる今の気持ちを記せる場所を作ろう、それがこれからの自分の糧になると信じて。

 

19年生きてきて自分を好きと思ったことは1度もない。いつも何か人よりは劣っていて、秀でていることはない。凡を絵にかいたような女の子だと思っている。いつも思う。何かの一番になれることってないのかなあって。それは対人関係でも一緒で、誰かの一番になれることはないのかなあと思っていた。それは友達にしても好きになった人に対しても、みんなの中にはそれぞれに一番に大切に思っている人がいるから、わたしの入る隙はないのかなって思っていたわけ。でも最近になって気づいたことがある。わたしが大切にすれば、大切にしてくれる人はいるってこと。それが例え一番じゃなかったとしても、大切に思って一緒に時を刻んでくれる、その事実が大事なのかなって思えるようになった。どう?なんか前向きな考えができる自分が自分みたいじゃなくてちょっとくすぐったいけど、そう思ったら自分のことも大切にしてあげたいなって思うようになった。自分のことが嫌いで嫌いでどうしようもなくて、消えてしまいたくて、何回もどうやったら迷惑かけずにいなくなることができるかななんて考えた夜が何度もあった。でも、いつもそんなわたしを救ってくれたのはわたしを大切にしてくれている人たちで、その人たちは言葉だったり笑顔だったり、何気ないことだけど、わたしにとっての元気玉をくれる。そうするといつも「まだまだやらなくちゃいけないことがある。みんなに恩返しをしてからじゃなきゃ。」って思う。そうだよ、わたし。しにたいとか消えてしまいたいとか考える前に大切にしてくれている人を大切にしなきゃ。いなくなるなんて、一番よくないことじゃない?ほら、少し前向きになれた。

それでもきっとこの先何が待っているかわからないし、きっと大きな壁に何度もぶち当たるし、素敵な恋をしてくっついて別れも経験するかもしれない。そう、未来は何が待っているかわからない。しにたい、消えてしまいたいと何度も口にするだろうしもしかしたら行動に移そうとすることもあるかもしれない。根はネガティブ、表向きもポジティブとは言えないわたしだけれど、わたしには大切にしたい人がいる。それは友達だったり恋人だったり家族だったり、ジャンル問わずに大切にしたい人がいる。それは大嫌いな自分のせいで振り回してはいけない大切な人たち。もっと自分のために生きていいんだ、と人は言うけれど、わたしはわたしを大切に思ってくれる大切な人たちのために生きていきたい。そうしていつか大嫌いな自分を少しずつ認められる日が来たら自分のために生きることを考えてみようかなって思う。今は、この生き方でいい。

 

わたしにとっての自分らしさは“他人を大切に人のためになること”なのかもしれない。

 

また思うことがあったら記しに来ようと思います。拙い文章読んでくれてありがとう。あなたもわたしにとっては大切な人です。わたしはあなたのために生きていきます。だから、これからあなたに辛いこと、悲しいこと、苦しいことがあったら、わたしはあなたのためにいるんだってことを思い出してほしいの。わたしはあなたがいなきゃ存在できない。だから、これからも一緒にいてほしい。一緒に半分こしよっか。