Ti amo

吐き出したり愚痴を言ったり病んだり考えたり忙しいブログでごめんなさい。

やりたいこととやらなきゃいけないこと

やりたいこととやらなきゃいけないことって大体は一致しないし、やらなきゃいけないことって大体つらいよね。なんて思ったってやらなきゃいけないことは少しずつこなさなきゃ終わらないんだけどさ。分かってはいるけどつらいよね、やっぱ。甘えでしょうか?

 

大概タイトルとブログの内容が合わないわたし。日本語も弱かったら何話せば生きていけるのか…疑問です。さ、書こう。いつものような変な文章をね。

 

 

世間は9連休なんて人がいるらしい。嘘だよね?いやいやあんた9連休って春休み癖も抜けてないうちにそんなに休んだらそりゃ5月病にもなるよね。まあ当然わたしにはそんなもの存在しないから関係ないんだけど。わたしにとってもそれから彼にとっても関係のない話。日が出たら仕事に行って、日が落ちたら家に帰って、食べて風呂に入って寝て、また仕事に行くだけだよ。休みは大切だけど、休みが人をダメにすることもまあ時にはあるよね。わたしは忙しい方が何にも考えずがむしゃらに何かやっていられるから好きなんだけど、忙しかったらそれはそれで辛いって言うんだろうな。なんて贅沢な人間なんだろうわたしって人は。

恵まれていると思う。家庭環境とか、友人とか。他人から見れば少し羨ましがられるんじゃないかって思う、まあそれは若干自意識過剰感あるけどね。それでも幸せを求めてるよ。胸張って「わたしは幸せです」と言えた日はまだないから。贅沢だよね、

自分という存在のくせに大口たたいてって思うよ。そのくらい自分が嫌い。すべてが嫌い。だから揉み消したくなる時だってある。わたしがわたしを認識しなければこの自己嫌悪は感じずに済むからね。

 

自己肯定感の低いわたしにいつも安心を与えてくれる人を大事にしてる。この話なんか一回したことあるような気がするけど。わたしがどうしてもあの人を嫌いになれない理由の一つでもあるなって最近思った。わたしに「もっと自信持っていいんだよ」ってさ、欲しい時にその言葉をくれるんだよ。そりゃ離れられるわけないよね、だって自分が嫌いな自分を好きだよって、自信持っていいとまで言ってくれるんだよ?いや、そりゃ嫌いになれるわけがない。

これがあの人の戦略なのかもしれないね、

でもねわたしはそう言ってくれる人を失った瞬間に自分を認めてくれる人を失うの。それが本当は怖い。自分を赦してくれる人を失うのは、とてもこわい。

 

ねえ、この好きはさ、そういう気持ちでできてるのかな?そうだとしたら、きっとわたしとってあなたって自分の存在を確かめるため、ってことになるよね。

結局は自分が一番傷つくのを恐れてるだけなのかもしれないね、

 

 

ああ、好きで好きで仕方ないのに、

 

 

自分のためだけにあなたを愛しているのならばわたしはわたしを赦すことは到底できないな。

 

恋愛ってなんだろうね?むずかしいね

 

お互いはお互いをどうして愛して必要としていくのかな

 

その先に待つものは、別れかもしれないのに、どうして未来を信じていけるのかな

 

永遠を誓い合うまでは、酷く遠い道なのかな

 

はじまりには終わりがついてくる、これは定めであってかえられないことでしょう?

 おわりはいつだって、こわいものだよ

 

 

 

 

今日もまたこわいことがありませんように、って心の中でお願いしてから眠りにつかなきゃね

 

なんか明るい記事書けないのかなわたしは(笑)

 

普段は絶対にめんどくささ表に出さないようにするからさ、だからちょっとだけ、ちょっとだけ沈んだわたしも許してくださいね。

 

 

次あなたと会う時にいつものわたしの笑顔でいるからさ。

 

 

なみのりじょにー


波乗りジョニーって名前の豆腐が、昔あった気がする。夕飯の時にそれを見て面白いもん作るなあって感心しながら食べてた気がする。懐かしいなあ。実家のご飯が食べたいな。


いやいいんだこの話は。ふと浮かんだだけだから。(笑)



私の感情の波について。

酷いんです。波が。前からそうだったけれど最近はさらに酷い。すごく楽しい時とか、何も思ってない時はね、本当に普通なの。明日は何着ようかなあ、授業は何があったっけ、お昼は何食べようかな、勉強しなきゃなって。普通のことばかり考えて眠くなったら寝床につけるの。

でも。だめな日は、私のこういうところがだめなんだ、また携帯いじってなにしてんだ、明日が来るのが怖い、またやることが増えてつらい、前を見て歩けない、笑えない。何よりも辛いのは、眠れないこと。どんなに眠くても眠れない日がある。そんな日は本当にだめな日。

弱いなあって思います。誰がどうやって私がこうなってしまったのかは分からないけれど、自分は弱くてどうしようもないダメ人間だなってつくづく思います。弱いところを見せるのは、恥ずかしい。つらい。見てる方もつらくなるから、隠さなきゃいけないのに。


そんな自分が嫌で変えたくて。ここ数日、ポジティブ発言生活をしてます。どんなに自分が嫌いで気分はすごく下がっていたとしても、周りに迷惑はかけられないから、ニコニコしていようって。弱いところは自分だけが知っていればいいよね。涙なんてもってのほか。今まで見せてきた涙よりも隠す涙が多くなるように努力しなくちゃね。


弱ると、どうしても会いたくなる人がいます。でも、そういう時に君はいないんだ。

人生は、運命は、うまく出来てて、いるか分からない神様は沢山の試練を与えようとしてくる。でもね、その試練って乗り越えられない人には与えられない、って思ってるから私には乗り越えられるよって思って生きてる。そうじゃなきゃ、生きていけないよ。試練は、全部乗り越えて抱えて生きていかなきゃ。

君に会いたいと踠いても、会えるわけじゃなくて、わたしにもあなたにも時間と都合ってものがあるからさ、

でも1番にあなたのことが浮かぶんだよ、って覚えてて欲しいんだ。わたしはね。



君にとってはどうかな


わたしが会いたいと思っても、会いたいと思われることって少ないよね。

ちょっぴり寂しい。
















うそ、だいぶ。だいぶ寂しいよ。


でも仕方ないから、わたしは波がおさまるのを1人でじっと耐えるね。







いつでもそばにいてくれればいいのにね



まちぼうけ

わたしはあなたを何度待っただろうか。



部屋のベッドの上で。あなたの家の布団の上で。駅の改札前で。まあ今はマクドナルドなんだけども。

待つことと歩くことに慣れたのはあなたのせいで、歩くことは好きだけれど待つことはあまり好きじゃない。待つ側はいつ来るか、むしろ来るか来ないかすらわからない相手をずっと待つ訳でしょ?不安で悲しくて寂しいあの待つ時間がわたしはとても苦手。


今これを書いているいまも待っているんだけれど、思い返せば待たせたことってあったかなあって…いつも待つのはわたしな気がする。性格上とか生活リズム上仕方ないことではあるし彼はいつも待たせてごめんと一言言ってくれるからまだあれだけど、やっぱり思い返しても、待つことはあまり好きではないなあ…


只今22時55分。あなたが来るまであなたについて書き記してみようか。待つことが少しでも楽しくなるように。


3つと8cm上。笑った時にできるえくぼがかわいくて、恥ずかしがり屋で不器用でちょっぴり意地悪。料理と歌うことが好きで自分の意思をしっかり持ってる。手はそんなに大きくないのにすごく男らしくて、でもお腹は割れてなくて、でも細身。わたしより確実に細い。身体うっすいけど抱き締められると男なんだなって思う。今かけてるメガネはね、わたしが一緒に選んだんだよ。黒縁から卒業して茶色の縁のメガネにした。でも、実はメガネとった顔の方がかわいいからすき。付き合い始めはメガネしてた方がカッコいいなあと思ってたけど、今はメガネしてない方がかわいい!って思っちゃう(笑)わたしにしか見せない一面がかっこいいなと思うしかわいいなと思ってその度にあなたがすきと再確認する。ちゃんと欲しい時に欲しい言葉をくれてそっと涙を拭ってくれてふざけながらもしっかり手を繋いでくれる。そんなとこが男らしくて愛されてるなと思えるからついて行きたいなって思う。

これが離れられない訳ですよ。どんなにムカついてたって腹立ってたって離れられないし嫌いになれないんですよ。これって、もう恋愛というか依存なのかなと思ったけど、前ほど会えないことに執着は無くなったしわたしはわたしなりに友達との予定とかやりくりすることもできてるからそうでもないのかなあって…でもやっぱりこれは依存に近いんだろうなあ。

あなたのことをこうやってすきであいしている限りは、自分の気持ちから目を逸らすことなく向き合っていきたいなって思ってる。今はね。いつどうなるかわからないけど、今は一緒にいたい。

ああこれだけ待ってもまだ来ないのね、

今日は何時に会えるのだろうか…ねむたい。




プロローグすなわち序章

―このブログが、わたしの今書くこの気持ちが未来の私を勇気づけるものになっていますように―

 

2018年4月9日。雲一つない青空にちょっと冷たい風が吹いていた。なぜこんなにも青い空の下、わたしはたくさんのもやもやを抱えているのだろうか…疑問を抱くくらいには心のスペースがあった。その時は、だけど。

急にブログを書こう。と思った。それは完全なる思い付き。意味もあんまりない。けど昔あんなに日常を綴っていたブログは今や幻になったし、あの時はあの時でぶつけたい気持ちがあったと思うから、新しく始めてみようと思った。(ちなみにこの間読み返したらそれなりに楽しんで、悩んでた。あの頃ならではの悩みに甘酸っぱさを感じた。)今のわたしがぶつけられる今の気持ちを記せる場所を作ろう、それがこれからの自分の糧になると信じて。

 

19年生きてきて自分を好きと思ったことは1度もない。いつも何か人よりは劣っていて、秀でていることはない。凡を絵にかいたような女の子だと思っている。いつも思う。何かの一番になれることってないのかなあって。それは対人関係でも一緒で、誰かの一番になれることはないのかなあと思っていた。それは友達にしても好きになった人に対しても、みんなの中にはそれぞれに一番に大切に思っている人がいるから、わたしの入る隙はないのかなって思っていたわけ。でも最近になって気づいたことがある。わたしが大切にすれば、大切にしてくれる人はいるってこと。それが例え一番じゃなかったとしても、大切に思って一緒に時を刻んでくれる、その事実が大事なのかなって思えるようになった。どう?なんか前向きな考えができる自分が自分みたいじゃなくてちょっとくすぐったいけど、そう思ったら自分のことも大切にしてあげたいなって思うようになった。自分のことが嫌いで嫌いでどうしようもなくて、消えてしまいたくて、何回もどうやったら迷惑かけずにいなくなることができるかななんて考えた夜が何度もあった。でも、いつもそんなわたしを救ってくれたのはわたしを大切にしてくれている人たちで、その人たちは言葉だったり笑顔だったり、何気ないことだけど、わたしにとっての元気玉をくれる。そうするといつも「まだまだやらなくちゃいけないことがある。みんなに恩返しをしてからじゃなきゃ。」って思う。そうだよ、わたし。しにたいとか消えてしまいたいとか考える前に大切にしてくれている人を大切にしなきゃ。いなくなるなんて、一番よくないことじゃない?ほら、少し前向きになれた。

それでもきっとこの先何が待っているかわからないし、きっと大きな壁に何度もぶち当たるし、素敵な恋をしてくっついて別れも経験するかもしれない。そう、未来は何が待っているかわからない。しにたい、消えてしまいたいと何度も口にするだろうしもしかしたら行動に移そうとすることもあるかもしれない。根はネガティブ、表向きもポジティブとは言えないわたしだけれど、わたしには大切にしたい人がいる。それは友達だったり恋人だったり家族だったり、ジャンル問わずに大切にしたい人がいる。それは大嫌いな自分のせいで振り回してはいけない大切な人たち。もっと自分のために生きていいんだ、と人は言うけれど、わたしはわたしを大切に思ってくれる大切な人たちのために生きていきたい。そうしていつか大嫌いな自分を少しずつ認められる日が来たら自分のために生きることを考えてみようかなって思う。今は、この生き方でいい。

 

わたしにとっての自分らしさは“他人を大切に人のためになること”なのかもしれない。

 

また思うことがあったら記しに来ようと思います。拙い文章読んでくれてありがとう。あなたもわたしにとっては大切な人です。わたしはあなたのために生きていきます。だから、これからあなたに辛いこと、悲しいこと、苦しいことがあったら、わたしはあなたのためにいるんだってことを思い出してほしいの。わたしはあなたがいなきゃ存在できない。だから、これからも一緒にいてほしい。一緒に半分こしよっか。